「無駄のない」「堅実な」生活を送りたいと思っています。
憧れの「おばあちゃんの知恵袋」には現代の日本人が忘れかけている大切なものが詰まっています。
実はとても奥が深くて、女性の強さを感じることばかり。

なんで?
「戦争」のような「戦い」を強いられている「今」に必要な、生き抜く知恵があると感じるから。
なんでも洗って再利用

母の世代(現在75歳)が育った時代は、戦後の混乱期。今では考えられないほどモノのない生活を送っていました。
その時代の「不自由さ」を「想像」もしなかった、若い頃は「貧乏くさい」と嫌な気持ちになったものです。
なんでも「洗って再利用」する。
ビニール袋も、つくだ煮の瓶も、厚手のキッチンペーパーも。
世界レベルで推奨している「環境に配慮」した行為を、もう誰も「貧乏くさい」と思う人はいませんね。
ご近所付き合い
「ご近所付き合い」はめんどう。
一度なにか揉めたりすれば、引っ越しする以外の方法はないかもしれない・・と考えると「距離」を取るのがベスト。
と思ってきました。
でも、この長引く「コロナの戦い」の中、私のように「動かない」我慢をしている人が、とても身近にいると思い知らされました。
ご近所さんの中でも、正直「変わり者」の方もいます。
でも
私も他人からみたら「変わり者」なんです。
知ろうとしないからそう感じるだけ。
もっともっと「他人を許す」チカラを身に着けたいと思います。
なんでも手作り

モノの無い時代。
嫁入り支度に「お裁縫」は必須であり、それが仕事にもなったわけですね。
着物は自分で「仕立て」が基本。手間をかけて仕上げ、長い間着れるよう、布は直線で裁断し、何度もほどいて直せるような工夫が施されています。
綿を入れた「はんてん」も知恵と工夫のかたまり。
食べるものも、自分で「耕し」「育て」「収穫し」「手を加え食す」
この一連は、「知恵袋」の集大成。生活を楽しむ工夫に溢れています。おばあちゃんって、本当にかっこいい。
手を合わせる

家の前の道路から「お線香のかおり」がしたら、そこは「おばあちゃんの家」に違いない。
おばあちゃんは「仏壇」がある、なしに関わらず「お線香」をたき「亡き人」に手を合わせます。
このかおり正直、昔はとても苦手でした。
なぜ?「年寄りクサイ」から。みっともない持論でした。
見送ってきた人へ「手を合わせる」事がどれだけ、心の豊かさと直結しているか知らずに生きてきた半世紀。
私の終活の一ページ目に載せたい「手を合わせる」行為は、過去への敬意をはらうことでもあります。
まとめ
年齢を重ねる事を恐れない
どこかの化粧品メーカーの「キャッチコピー」のようなフレーズですが、終活をはじめて「老いる」事へのハードルがとても低くなったと感じています。
白髪だって「どんまい」と見逃せるようになりました。
「諦め」とも「開き直り」とも違う。
私にも着飾って、背伸びをした時代がありました。
メイクはいつも足し算で、体型はいつも引き算を狙っていました。
今、毎日の暮らしを丁寧にしたいと思うと、自然に歩く速度がゆるりとなっていきます。
すなわち、おばあちゃんの知恵袋をお借りするのが、今の私にはぴったりなのだと思うのです。
おばあちゃんの「美」に心から敬意を表します。
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