猫から学ぶ猫と暮らす

2/22は猫の日|猫を飼うのは宗教と同じだと感じる事

blogcat-image猫から学ぶ
この記事は約3分で読めます。

猫初心者の私達の元へ、ある日突然やってきた猫達。
それから半年後、その子達の母猫も家族として暮らし始めました。

 

 

ブログスタートと同時に「インスタグラム」を始めてみました。今までリアルな「目の前」で起こる事だけが「事実」と思い込んできましたが、やってみると「そこには」たくさんの人の生活や想いが詰まっていました。
#猫好きさんとつながりたい
#保護猫
#外猫から家猫
私のインスタグラムにはこんなハッシュタグをつけています。


見よう見まねで始めたので、なんとな~く「#」の後にキーワードを書いて投稿し、そのキーワードで繋がった同じ嗜好の人から「いいね」がつくと、やはり嬉しいもの。承認欲求はリアルな生活でなくても満たされると実感しました。ちょっと工夫して写真に文字を入れると、さらに猫達の表情を感じて楽しくなります。

#ペットショップに行く前に保護猫カフェへ

と言うタグを見つけました。保護猫の活動を熱心にしている方は、日本にも世界にもたくさん存在します。「熱いもの」に突き動かされ「保護猫の活動」をしている様子が毎日の投稿で見えてきます。人を救う行為に似た善意。一方で、猫を守ろうとする強烈な「念」が人間に向かって牙を向いているケースもありますね。人間社会って複雑。もっとシンプルに、こころからっぽにして「猫を飼いたいならその前に」保護猫カフェや団体に問い合わせる方法もあるよ、と言っているだけなのに。

moco
moco

そんな熱くならないで~

保護猫の価値

ペットショップで「買う」のが当たり前と考えていた著者には、「保護猫」という概念はまったくピンとこないコトバでした。外猫でも幸せなネコもいるだろうし、毎日どこかで「消える命」は人間でも、鳥でも、昆虫でも「命あるもの」は必ず迎えるその瞬間がくる。「一生懸命に生きている猫」を人間の「母性」に似た感情で受け入れるのは傲慢なのではないかと。今もその気持ちがないわけでもない。人間だって猫だって自由に生きればいい。だけど「救いたい」その気持ちを止められないのは理解ができました。そんな私のような「救いたい気持ちがどうにも止められない人達」が作り上げた、これは一種のブランドなのでしょうね。

ブランド万歳!

そこには物語りがある

保護猫との出会いは、お店に行って得られる満足感とは違うかもしれませんね。猫種のこだわりも捨てなければならない。リスクもあり得る。なぜ「あえて」を選ぶのか。それは「突然」「運命的」に出会うからなのですね。「どこで」「どんな状況で」生きて来たかを知ると、猫に寄り添いたくなる気持ちが生まれるのでしょうか。あんなに猫嫌いだった私達夫婦も、今は猫の為にすべてが回っている生活になりました。無条件に「自分がこの子達の命を守りたい」と思わせてくれる無欲さにお手上げなのですから。

ELLE
ELLE

すでに病んでる?

moco
moco

はい、猫なしではムリ

そして宗教になる

「支配」こそ宗教だとするなら、まさに猫と暮らす事は「教祖さま=猫」と言う方程式が成り立ちます。私が猫と暮らし始めて「どうしてなんだろ」と毎回思う事のひとつに、猫愛家たちの共通点。他の家の猫に、すごく想いを寄せ、わがことのように悩み喜びます。猫好きは、どんな猫でも好き。外にいても家に居ても猫好きな人は猫を「感情のかたまり」のように見る。それは、目には見えないけれどそこに存在する「祈る」と言う行為があり、「命」に対しての敬意を、隠すことなくさらけ出している。まさに、これは宗教。

LATTE
LATTE

いいきったね

あとがき

私は、3匹に出会わなかったら、今頃なにをして何を考えていたのだろうか。そう思う事もたくさんあります。彼らに出会ってから、涙腺が故障し、やたらの事で腹が立たなくなり、時々そうなった時は「その理由」を探すようになりました。「どんなことにも理由がある」でも生きている事自体には意味は無く「自分の人生がどうだったか」なんて、答えは見つからないけれど、最後のまばたきの5秒前に「ああ、自分は幸せに生きた」と思えたら、それでいいと思うのです。
猫のように、淡々と、粛々と、日々を生きていきたい。

コメント