終活をはじめよう

終活はじめは「整頓」から|始めて一年経って分かった事

終活をはじめよう
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終活をしようと思い、行動して1年が経ちました。持て余した時間に乗っかりつつ動いてみたら、どんどん生活が変わりました。

未来を想像して生きる「終活」は、とても前向きなコトバだと納得する反面、Blogの名前と矛盾していますが「終活」の響きがなんとも「重い」と感じるのです。

終活って敷居が高いよね

でも、わかりやすく端的なコトバには、深い意味が込められているものです。
今までとは、暮らし方を変えたいと思った時、それは終活の始めドキだと思います。

あらたまって「終活」しよう!
そんなふうに、面と向かって誰かに宣言するものでもないので、読んでくださった方の「スタート」になれば嬉しいです。

すぐに、終活をはじめたくなる「動きたくなる」はず!

きっかけに気付く

振り返ってみたら「終活」のはじまりだったんだな、と思う程、それはとても自然に始まります。・

・「これから」についてぼんやり考えているとき

・将来に迷ったとき

・親の体が心配になったとき

人はいつ、どうなるか分からないから「想像」する事が大切ですよね。それに気付いた時「終活」のスタートラインに立っていると言えます。

想像してみる

まず、一年後の自分は何をしているかな、程度でよいと思います。何かあったとき、お金の心配もありますが、身の回りにある「モノ」をしっかり眺めてみる。

今、使っているもの、そうでないもの。もし「使ってないな」と思っても、いきなり「処分」するより先に、まずとことん眺めてみる。ミニマリストも素敵ですが「自分の人生の中で選んだモノ」は分身です。そんなに簡単に捨てる選択はできませんよね。時間をかけて、まず「どれを」捨てたらスッキリするかを想像してみましょう。

行動する

モノを処分する行動には、勇気が必要です。我が家は娘たちの巣立ち、私の退職、猫との出会いのタイミングが合い、思いきり処分する事が出来ました。無意識のうちに「いつかはやらなきゃ」と想像して過ごしていたので、「想像の」準備はしていました。

だから、きっかけに「気付い」て即行動しました。タンス、衣装ケース、布団など気合を入れないとサヨナラできないものばかり。行動していくと、どんどんスッキリして心が軽くなるものです。片付けの法則は、眺めて想像して決断したら「行動」あるのみ。

整頓ってメンタルアップに最適

動いた後の感想

そこにあったモノがなくなったのに、寂しくないんです。この先、必要になって「捨てなければよかった!」と思ったとしても、しっかり想像した上で処分した経験があるから、「必要最小限」のコンパクトな収納や「残っている空間」を利用しようと考えるようになるんです。

ずっと「捨てよう」と想像していたからこそ、それを行動に移せた自分にも満足しています。買い物は楽しいけれど、買ったものを「大切」にしていたか、振り返るようになります。

LEO
LEO

最近オレたちの物しか買ってないね

モノは自分の分身

年齢を重ねると「モノへの執着」が強くなりませんか?
私の母は、タオルや真新しい洋服などを、大量のショウノウと一緒にしまい込んでいます。
私はそんな母の「モノを貯め込む」と言う行為を理解できませんでしたが「豊かでなかった時代」を生き抜いてきた「自分の分身」を簡単に処分する事は、とても残酷な行為だと理解できるようになりました。

生きてきた年数分の分身=モノの量なのですよね。自分にしか理解できない「執着」がありますから。でも、実は本人も「なんとかしなきゃ」と焦っていたりするんです。

歳を重ねていればいるだけその焦りも強くなる。それを思うと「緩やかにモノへの執着」を解いていくには「訓練」なんですよね。「片づけたい!」と口にしても「モノ」への「思い出」はそう簡単に消せない。生きた年数だけ、モノは溢れていくからですね。

これからの「お買い物」

すっきりと快適に整った空間に、しばし陶酔したあと、さらに心地よさを目指し「お買い物」がしたくなる。以前はよく考えもせず「お買い得」の言葉に惑わされつつ「不必要」なものまで買っていました。
終活を始めて「安物の銭失い」を悟り、たとえそれが100円ショップで売っていても「しっかり考え」て「見極める」事ができるようになった気がします。
反対に「高価」だから「良い」とも限らない。必要なものをしっかり考えて買う事をしてこなかった反動は大きいです。バブル全盛期に浮かれて溺れた「感覚」をそろそろ「軌道修正」しなくては、と思っています。

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